ストックホルムから来日するエレクトロ・ノイズのラース。コペンハーゲンから来日する親日家のヤコブ・ドラミンスキーを迎えて、日本の音楽家がクラシック、エレクトロニクス・ノイズの壁を越えて合流します。主題に選んだのは、映像としてエーリック・フォン・シュトロハイムの1922年のサイレント映画「愚かなる妻」それとマルキ・ド・サドに関わるテキスト。しかし、これらには音を含めて何も関係がありません。ただレイヤー(層)を作るだけです。しかし、そこから生まれるかもしれないレゾナンス(共鳴)に期待しています。 Tetsuo Furudate

2017.12.9 (Sat.)

P.M.7:00(around)

¥1,500+Drink

At

桜台

 

subsidize by Sasakawa Foundation & Swedish Arts Grants Committee (for Lars Åkerlund)

 

 

 

 

私は、煉瓦に囲まれている。
ここから逃れることはできない。
鉄の扉は固く閉ざされていて、この小さな空間が私の生きている場所となるのだろう。

私は随分と多くの死を楽しんだ。死と生の狭間に何の違いがあるのかと思う。彼ら、彼女らは未だに死を楽しんでいると確信している。
私は、欲望のままに人を切り裂き、人を閉じこめ、ヴラキュラのように人体を磔にしイエスを辱し女の膣に押し込めた。
私の行為に異存はない。

ここにいると、雨と晴天を失っている。風も失っている。
それだけが、不快だと言わざるを得ない。
なぜ、このような不快を味わわなくてはいけないのか?

全ての、苦痛と快楽が表裏一体で、しかも、共有されていたとしたら、人間が豚のようにフライパンで焼かれ、それでも俺は豚ではないと叫んでいたら、それを笑いながら炒めている男がいたとしたら。

私は、ここにいても処女膜を破られるジヤスティーヌの叫びが聴こえる。
美しい彼女の切り傷はいつもここにある。
そして私は今でも彼女を切り続け、切断し、犯し続けている。

私の男根はいつも勃起していて、自由なのだ。

すべての自由はここにある。

神などはすべて滅ぼしてしまえ!
そして人類も消滅してしまえ!

私は知っている、この煉瓦がすぐに崩壊することを。
私は知っている、王女の首が此所で切断され頭がころがることを。
そして、この場所で多くの音楽劇が毎夜上演されることになることも。

私は知っている、私の脳だけが重要なのだ、それだけが世界を作っている。
世界を創成し、修復さ氏、また再生させている。

私の存在だけで良いのだ、神等のへの用は全くない。
私の脳だけが世界を形作っている。
君たちの知も、苦痛も、不審もまったく僕には興味がない。

僕は僕の脳だけで世界が作ることができるんだ。
お前なんか必要無い。
他人も人類も必要無い。
ジヤステーヌの必要も無い。

生殖の為に性行為はない。目的は唯唯、快楽だ。
生殖などありえない、増殖なぞまったく無意味だ、人類等は滅亡するべきだ。
私の脳だけがあれば全ての世界が完了するのだ!

そこには、自由だけがあって、私の世界だけがあって、私の脳がすなわち世界でそして宇宙で、それ以外にはまったくの存在はない。
すべての他者が滅亡しても、私の脳だけがここに存在して全ての宇宙を構成する。
私はあらゆる意味で自由だ、私が神を凌駕する!
私の創造がすべてを凌駕する。

天を作り、空間を作り、時間を作ったのは私だ。

私の中に国家が創成されていて、国境が作られて、私の中にだけ生産があって、私のだけの中に全ての営みがある。

死は、私の中に存在するのだろうか?
私は、不死であるべきだ、なぜならば私が存在を創成しているからだ、
もしも、私の中に死を内存させていたとしたら世界が虚空の中に消滅してしまう。

もしもの私の死後その後を私は想像することもできない。
空間が失われ、時間が失われて無のみが永遠と続く。
世界が失われる。
漆黒の闇に、数学だけが脈々と機能して、天体のみを動かして行く。

これは、恐怖なのだろうか?
なぜ、私はこれを恐れなくてはいけないのだろうか?

私は、私は、私は!
世界を支配している。
たとえ此所にいたとしても。